状況が把握できない中での判断
9月11日の米国テロは、誰も想像し得なかったことですが、危機管理ができていなかったという訳ではありません。アメリカ政府の対応は、二機目がぶつかった20分後には声明を出しています。日本ではテロだと報道されましたが、ブッシュ大統領は「テロである可能性が高い」と表現し、断言はしていません。その断言してない段階で、飛行機の離発着をすべて停める判断を下しました。今回はかなり大勢のテロリストが動き、3弾目、4弾目くらいまで考えていたと思いますが、これを未然に防止するという対応策が取られたと考えられます。危機管理では、状況が把握できない中での判断というのが必要になります。
ある日本の銀行は93年のテロ事件が教訓になり、日頃から避難訓練をしていて、今回も全員が避難できました。日本で高層ビルに入居している方は、「このビルは大丈夫だよ」と言います。一方、彼らは「このビルは危険だ」と思っています。この差は大きいと思います。また、第1ビルに突っ込んだあと、第2ビルでは「安全だ」という館内放送があり、多くの悲しい結果につながりました。その時の判断というのはその人、その企業にあるのです。93年の事件では非常階段が煙突のようになった教訓から、加圧をかけ煙が入らないシステムを取り入れました。ところが今回も同じく、3階から5階までは煙が充満していたということです。ハードの限界も考えなければなりません。
日本企業のビジネスの継続対応は、大手の銀行などは子会社や自社のデータセンターで、小さな支店は提携企業を上手く使って、業務を再開することができました。ニューヨーク証券取引所は、コムディスコという企業のサービスを受けていました。93年のときはコールサイトのデータリカバリーという考え方しかなく、データは立ち上がったが、実際のビジネスは立ち上がらなかったという教訓もあり、95年より遠隔ミラーリングをしたことが、今回は功を奏しました。
危機意識が芽生えにくい文化
災害とテロの根本的に大きく違うのは、テロは犯罪だということです。93年の時は、ビルの倒壊はありませんでしたが、FBIが犯罪調査をするために1ヶ月くらいビル内に入れませんでした。局地的な被害なので、同業他社は通常通り営業を行っています。1企業だけの突発的、甚大な被害というのを考えなければなりません。
日本は、危機管理という意識が芽生えにくい土壌にあると思います。ひとつは米国に比べて安全であるという意識があります。95年のサリン事件は、世界中でテロ事件だと言われています。テロと認識のないのは、我々日本人だけです。そして日本は、ほぼ単一民族なので、欧米のような民族的な紛争はあまり感じたことがありません。また、イスラムの文化、ユダヤの文化、キリストの宗教は、『許さない』というのがベースにありますが、日本に影響を与えた仏教や儒教は、『許す』、『悪いことは忘れよう』という文化です。そういった意味で、教訓が活かされにくいというのがあります。